第2章では、「HACCPは、当たり前を説明できるようにする考え方」だとお伝えしました。 誤解をほどくと、やるべきことは実はそこまで多くありません。
この第3章では、そこから一歩進んで、 「飲食店のHACCPは、何から始めればいいのか」という疑問に、ひとつの答えをお渡しします。
先に結論をお伝えします。 飲食店のHACCPは、ゼロから作る必要はありません。 業界団体が作成し、厚生労働省が内容を確認した「手引書」を使えば、 今やっている衛生管理を整理するだけで形になります。
その理由と、具体的な始め方を、ここからゆっくりお話しします。
厨房の中は、お客様には見えない
お客様は、厨房の中までは見えません。
手を洗っていること。 冷蔵庫の温度を確認していること。 材料の状態を見ていること。 加熱や保管に気をつけていること。
どれも、食品を扱ううえで大切なことです。 でも、黙っていれば伝わりません。
お客様から見えるのは、 商品の見た目、味、接客、お店の雰囲気、SNSの投稿。
もちろん、それらも大切です。 でも、その奥には、見えない丁寧さがあります。
朝の仕込み。清掃。温度管理。手洗い。原材料の確認。
そういう小さな積み重ねがあって、 お店の商品は、お客様の前に届いています。
私は、HACCPというのは、 その見えにくい丁寧さを、少しずつ見える形にしていく考え方でもあると思っています。
「ちゃんとやっている」は、伝えないと伝わらない
小さなお店ほど、丁寧にやっていることは、たくさんあるはずです。
顔の見える仕入れ。 手づくりの工程。 少量ずつの製造。
大きな会社にはない強みだと思います。
でも、「ちゃんと気をつけています」と思っていても、 何をどう管理しているのかが言葉になっていないと、 お客様には伝わりにくいものです。
たとえば、同じ焼き菓子でも。 原材料をどう確認し、どう保管し、 どのタイミングで清掃しているのか。
そこが少し見えるだけで、 「このお店は、味だけでなく、管理も丁寧なんだ」 と感じてもらえるかもしれません。
そう感じてもらえることは、お店の信頼につながります。 そして信頼は、小さなお店にとって、とても大きな価値です。
安全・安心は、地味だけど強い
安全・安心は、派手ではありません。 新商品や季節限定メニューのように、 すぐに目を引くものではないかもしれません。
でも、食品を選ぶとき、 最後に効いてくるのは信頼だと、私は思っています。
自分が食べるもの。 家族に食べさせるもの。 大切な人に贈るもの。
少し高くても、安心できるものを選びたい。 そう思うお客様は、確かにいます。
もちろん、HACCPに取り組めば必ず売上が上がる、 という単純な話ではありません。 「HACCPだから絶対に安全です」と言うこともできません。
でも、衛生管理にきちんと向き合っている姿勢は、 お店の価値を伝える材料になります。
カフェなら、お客様が安心して過ごせる場所づくりに。 菓子工房なら、贈り物として選ばれる理由のひとつに。 キッチンカーなら、限られた設備でも向き合っている姿勢の証に。
安全・安心は、地味です。 でも、地味だからこそ、ちゃんと伝えたときに強い。
私は、そう思っています。
飲食店のHACCPは、ゼロから作らなくていい
ここまで読んで、 「言いたいことはわかる。でも、結局そのために何を作ればいいの?」 と感じた方もいると思います。
衛生管理計画。 手順書。 記録。
そう聞くと、白紙のノートを前に、 たった一人で全部を考えなければいけないように思えてきます。
でも、ここが今日いちばんお伝えしたいことです。
飲食店のHACCPは、ゼロから作る必要はありません。
小規模な飲食店や食品事業者のために、 業界団体が作成し、厚生労働省が内容を確認した「手引書」が、すでに用意されています。 しかも、厚生労働省のホームページから無料で手に入ります。
実は、この手引書の存在そのものを知らない方が、とても多いのです。
「HACCPは難しそう」という言葉の半分くらいは、 「どこから手をつければいいかわからない」という意味だと、私は感じています。 道具があることを知らなければ、難しく感じて当然です。
だからこそ、まず知ってほしい。 あなたのお店の業種に合わせて、 「ここを押さえればよい」という目安が、もう整理されているということを。
正しい情報に、無理なくアクセスできる。 私は、それ自体が大きな価値だと思っています。
一人ひとりが正しい情報にたどり着けることが、 食品衛生の知識を少しずつ底上げし、 結果として、食中毒を防ぐことにつながっていく。
そう信じて、私はこのシリーズを書いています。
手引書とは?飲食店の衛生管理を整理する道案内
では、その手引書とは、どんなものなのでしょうか。
ひとことで言えば、 お店の丁寧さを言葉にするための道案内です。
カフェなどの小規模な飲食店向けには、 公益社団法人日本食品衛生協会が作成した 「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理のための手引書(小規模な一般飲食店事業者向け)」が公開されています。 (2024年・令和6年1月に改訂され、「毎月の振り返り」の記録が新しく加わりました。)
この手引書には、たとえば次のようなものが含まれています。
・どのお店でも共通して大切になる「一般衛生管理のポイント」(7つの項目) ・料理を3つのグループに分けて考える「重要管理のポイント」 ・そのまま使える、衛生管理計画書や記録表のひな型(テンプレート)
つまり、考え方の枠も、書き込む用紙も、すでに用意されているのです。 これが「ゼロから作らなくていい」と言える理由です。
「一般衛生管理のポイント」として整理されているのは、 原材料の受入確認、冷蔵・冷凍庫の温度確認、 交差汚染(食材どうしの汚れの移り)の防止、 器具などの洗浄・消毒、トイレの清掃、従業員の健康管理、そして手洗い。
おそらく、もうやっていることも多いはずです。
ただし、ひとつだけ大切な注意点があります。 手引書は、そのまま丸写しすれば安心、というものではありません。
大切なのは、自分のお店に当てはめて考えること。 手引書は「正解」ではなく、「考えるための土台」です。
そのうえで、HACCPの考え方では、 「なんとなく」を少しだけ言葉にしていきます。 いつやるのか。誰が確認するのか。問題があったとき、どうするのか。
それは、書類を増やすためではありません。 「うちは、こういう考えで管理しています」と伝えられる状態に近づけるためだと、私は思っています。
(なお、カフェなどの一般飲食店では、手引書のほかに「食品衛生管理ファイル」を使って 計画の作成・記録を行う方法もあります。お住まいの自治体のホームページでも案内されています。)
HACCPのやり方は、まず一つだけ言葉にすること
手引書という土台があるとはいえ、 いきなり全部を完成させようとすると、きっと重くなります。
だから、飲食店のHACCPのやり方として私がいつもおすすめするのは、 最初は一つだけ、という始め方です。
たとえば、冷蔵庫の温度確認。 今も、なんとなく見ているかもしれません。
でも、それを少しだけ言葉にしてみます。
・開店前に、冷蔵庫の温度を確認する ・目安の温度を決めて見る ・高いときは、扉の閉まり具合や詰め込みすぎを確認する
(具体的な温度の目安は、業種によって手引書に示されています。 まずは、自分のお店に合った数字を確認してみてください。)
たったこれだけでも、 “なんとなくやっていること”が、“お店の管理”に変わっていきます。
手洗いでも、清掃でも、原材料の受け入れ確認でもいいです。 まずは、一つ。 今やっていることを、お店の言葉にしてみる。
そこからでいいと、私は思っています。
SNSで伝えてもいい
衛生管理は、裏側で静かにやるものだと思われがちです。 もちろん、管理そのものは、日々地道に続けるものです。
でも、そこに込めている考え方は、 お客様に伝えてもいいと、私は思っています。
たとえば、SNSでこんなふうに。
「安心して召し上がっていただけるよう、毎朝冷蔵庫の温度を確認しています」
「小さな工房ですが、HACCPの考え方に沿って、日々の衛生管理を見える形にしています」
派手ではありません。でも、見る人は見ています。 私はこういう投稿を見かけると、そのお店を少し応援したくなります。
家族に安心して食べさせたい方。 丁寧に作られたものを応援したい方。 そういう方には、きっと届きます。
見せびらかす必要はありません。 でも、丁寧にやっていることを丁寧に伝えるのは、 お店の信頼を育てる行動だと、私は思っています。
「HACCP認証店」と書くのは注意|表現のポイント
ここで、ひとつだけ大切なお願いがあります。 これは、お店を守るための話でもあります。
「HACCP認証店です」 「HACCPだから絶対に安全です」
こうした言い方は、誤解を招く可能性があります。
実は、HACCPの制度化は、 「衛生管理に取り組むこと」を求めるものであって、 「認証を取ること」を義務づけるものではありません。
ですから、第三者認証などを実際に受けていない場合に 「認証」という言葉を使うのは、避けたほうがよいと思います。 「絶対に安全」のように、安全を保証する言い方も避けたいところです。
私がおすすめしたいのは、 姿勢や取り組みを、そのまま伝える表現です。
・「HACCPの考え方に沿って、衛生管理に取り組んでいます」 ・「安心して選んでいただけるよう、衛生管理の見える化に取り組んでいます」
大切なのは、“すごく見せる”ことではありません。 本当にやっていることを、誠実に伝えることだと、私は思っています。
義務から、価値へ
正直に言えば、HACCPをしっかり整えるには、手間がかかります。 担当者がいて、教育の時間があって、システムも入れられる。 大きな企業ほど取り組みやすい面があるのは、事実です。
だからこそ私は、HACCPが 「余裕のあるところだけができるもの」になってしまうのは、もったいないと思っています。
安全・安心は、本来、一部のお店だけのものではないはずです。
分厚いマニュアルでなくてもいい。 立派なシステムでなくてもいい。 まずは、手引書を開いて、今やっていることを一つだけ言葉にする。
むしろ、小さなお店だからこそ、その一つひとつに想いがのります。 誰が作っているのか。どんな考えで管理しているのか。 どんなお客様に届けたいのか。 そこまで含めて伝えられるのは、小さなお店の強みです。
HACCPは、やらされるもの。 記録は、面倒なもの。 そう感じてしまうのは、とても自然です。
でも、もし少しだけ見方を変えられたら。 HACCPは、お店の丁寧さを伝える言葉になる。 記録は、自分たちの仕事を説明する材料になる。 手引書は、その価値を整理する道案内になる。
「うちは、これを大切にしています」 そう言える管理を、一つ増やしてみる。
その積み重ねが、 お客様に安心して選んでもらう理由になり、 お店の信頼を育てる力になるかもしれません。
よくある質問(FAQ)
Q. 飲食店のHACCPは、何から始めればいいですか? A. まずは、自分のお店の業種に合った手引書を入手することから始めるのがおすすめです。そのうえで、今やっている管理を一つだけ(たとえば冷蔵庫の温度確認)言葉にしてみると、無理なく第一歩を踏み出せます。
Q. HACCPは、ゼロから自分で作らないといけませんか? A. いいえ。業界団体が作成し、厚生労働省が内容を確認した手引書があり、衛生管理計画書や記録表のひな型も含まれています。ゼロから作るのではなく、自分のお店に当てはめて整理していくイメージです。
Q. 小さな飲食店も、HACCPの対象ですか? A. はい、対象です。ただし小規模な飲食店は、簡略化された「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理」で対応できます。手引書を参考に進められます。
Q. 「HACCP認証店」とSNSやメニューに書いてもいいですか? A. 第三者認証などを実際に受けていない場合は、避けたほうがよい表現です。HACCPの制度化は「認証取得」を義務づけるものではないためです。「HACCPの考え方に沿って衛生管理に取り組んでいます」といった姿勢を伝える表現がおすすめです。
次の章へ
次の章では、 手引書の中心にある「一般的な衛生管理」を、もう少し具体的に見ていきます。
手洗い。清掃。冷蔵庫の温度確認。体調管理。原材料の確認。
どれも、特別なことではありません。 でも、その“当たり前”こそが、 お店の安心を支える一番大切な土台です。
このシリーズは、ゆっくり積み上げていきます。 必要な方に、届きますように。
国の制度との関係性(出典)
この記事は、国の制度を否定するものではなく、公的な情報をもとに、小さなお店の方に向けてやさしく整理したものです。
・厚生労働省「食品衛生法の改正について」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000197196.html (2018年改正で、原則すべての食品等事業者にHACCPに沿った衛生管理が求められること。小規模営業者等は手引書を参考に簡略化したアプローチで取り組めること)
・厚生労働省「HACCPに沿った衛生管理の制度化について」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/haccp/index.html (2020年6月施行・1年の経過措置を経て、2021年6月1日から完全施行されたこと)
・厚生労働省「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/haccp/01_00019.html (小規模事業者等は、業界団体が作成し厚生労働省が内容を確認した手引書に沿って対応できること)
・厚生労働省「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理のための手引書(業種別の一覧)」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000179028_00003.html (菓子製造、一般飲食店などの業種別手引書。記録例や計画の作成例も掲載)
・公益社団法人日本食品衛生協会「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理のための手引書(小規模な一般飲食店事業者向け)」(令和6年1月改訂) https://www.n-shokuei.jp/eisei/haccp_e.html (一般衛生管理7項目、料理を3グループに分けた重要管理、計画書・記録表のひな型。改訂で「毎月の振り返り」が追加。簡易版や多言語版も公開)
※「制度化」は、衛生管理に取り組むことを求めるものであり、第三者による「認証」の取得を義務づけるものではありません。この点は、本記事中の表現の注意点の根拠としています。
(出典の確認日:2026年6月)
補足:制度に関する確認事項
※本記事は厚生労働省・公益社団法人日本食品衛生協会の公表資料等をもとに整理しています。最終的な制度判断や運用の詳細、ご自身のお店に必要な対応については、所轄の保健所等へご確認ください。
シリーズのはじめから読む
はじめての方は、まずこちらからどうぞ。
▶︎【第0章】おひとり様HACCP|小規模飲食店のための入門編

▶︎【第1章】おひとり様HACCP|現場のリアルと共感

▶︎【第2章】おひとり様HACCP|HACCPに対する誤解をほどく

ほかの形式で学ぶ
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